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「これとまったく同じものを一週間以内に作ってほしい」。
そういって差し出されたのは、ウィーンのホテルザッハで購入したという、正真正銘のザッハトルテだった。
依頼の主は、常連客である神戸のとある大企業の社長。
この依頼を断るわけにはいかない。
当時、私は25歳。神戸のスイス菓子ハイジでアシスタントシェフを務めていた。
社長が立ち去られた後、さっそくその本物のザッハトルテとやらを食してみた。
何せ、「400年前と同じレシピで作られている」と言われるだけに、
表面を覆うショコラのグラサージュも実にぶ厚く、厳つい印象。
きめもそれほど細かくはなく、どちらかというと私には粗く感じられた。
そして何よりも、日本人の我々には甘すぎる!
これはちょっといただけない。
こんな時代遅れのレシピではなく、自分なりのアレンジをしてみよう!
そう思い立って、私は試作を始めた。
まず、このねっとりとした甘さを除き、
生地をもっと軽くして、日本人なら誰でもが好みそうな、
ふわっと軽い仕上がりのチョコレートケーキに仕立てたのだ。
これなら、社長もきっと気に入ってくださるはず…
私はそう確信して疑わなかった。
「何やコレ!こんなもん、ザッハやない!!」
社長にそう一喝された時は、正直、驚いた。
お褒めの言葉どころか、激怒をかってしまったのだ。
さらに「ザッハはあの味で、生クリームかけるからおいしいんや。
そんなこともわからんのか!」
確かに、濃厚な甘さのグラサージュをまとったトルテに、
ふんわりと泡立った乳脂肪分35%の無糖生クリームを添えると、
甘味が中和され、ちょうど良い、まったりと深みのある味わいになるのだ。
歴史のあるルセットには、なるほど、それなりの理論が秘められている。
厳しい社長の一言に、私は自分の計算の甘さを恥じ入ったと同時に、
当世流行の味が優れている、とも限らないことを思い知らされた。
世の中には、変わり続けることが善しとされるものと、
決して変わってはいけないものがある。
ザッハトルテこそは、まさに後者の代表格。
そう気付かされた私は、ふたたび"真のザッハトルテ"作りに挑んだ。
本物に迫る勢いの、濃厚な味わいのルセットで。
その甲斐あって、二度目の社長からの返事は、
「まあまあやな…」とすれすれながらも合格点を頂いた。
時を経て、私が自分の店でザッハトルテを作ろうと考えた時も、
やはりその時のルセットを基本にすることにした。
本物だけが持つ、「変わらぬことへの美学」を私なりにどう表現するか、
さらなる試行錯誤を重ねた。
そして、3年目の今年、ようやく社長(今はすでに会長になられた)から、
「おいしいな、これ」という本物のお褒めの言葉を頂戴した。
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